OTAMA STORY オオタマノータスな人々 # 01

12本のブドウから始まった、毛利良之さんの「農+」。

インタビュー
2026.08.25
毛利 良之さん

毛利 良之さん

ワイン用ブドウ農家 /「OOTAMA BLUE」生産者

大玉村で12本のワイン用ブドウを植えたことから栽培をスタート。現在は3つの圃場で5品種・700本弱を育て、「オータマブルー」を生産している。長年の横浜との二拠点生活を経て、2026年春から大玉村に生活拠点を一本化。ワインを起点に、地域に新しい人や楽しみが集まる場づくりにも挑戦している。

「農業をするつもりは、なかった。」

大玉村で、ワイン用のブドウを育てている毛利良之さん。
現在は3つの圃場で700本弱、5品種ほどのブドウを栽培し、「OOTAMA BLUE」の名前でワインをつくっています。
けれど、その始まりは「大玉村でワインをつくろう」という大きな決意ではありませんでした。
「農業を始めるために、こっちへ来たわけじゃないんですよ」
そう話す毛利さんの歩みをたどっていくと、人生を変えるような大きな決断よりも、小さなきっかけが次のきっかけにつながっていくような、不思議な連なりが見えてきます。

はじまりは“家庭菜園みたいなの”

毛利さんが大玉村に家を建てたのは、東日本大震災の翌年、2012年のこと。
奥さまに大玉村との縁があり、将来的な移住も考えながら、横浜と大玉を行き来する二拠点生活を始めました。
「家を建てた時に、ただ家があるだけでも面白くないんで。せっかく田舎に行くなら、家庭菜園みたいなのをやってみたいなって」
親戚に話してみると、「空いている畑があるよ」と言われました。
そこでジャガイモやトウモロコシ、枝豆などを植え、3年ほど家庭菜園を続けました。
「そろそろ芋をつくるのも、毎年同じことばっかりやってるのも飽きるなと。もうちょっと、つながっていくものをつくりたいなって思って」
そこで思い浮かんだのが、もともと好きだったワインでした。
「ワインも好きなんで、できるかどうかわかんないけど、じゃあやってみるか、みたいな話になって」
2015年、ワイン用ブドウを4品種、3本ずつ。
最初に植えたのは、たった12本でした。

12本が育った。じゃあ、もう少しやってみよう。

翌年、12本の苗は枯れずに育っていました。
「育ってはいるんで。じゃあ、やってみるかって」
今度は約400本。
家庭菜園の延長だったものが、少しずつ本格的なブドウ栽培へと変わっていきます。
400本を植えた時点で、すでに「事業としてワインをつくろう」と決めていたのでしょうか。
そう尋ねると、毛利さんはあっさり答えました。
「事業っていうより、まだ趣味の延長みたいな」
最初から綿密な事業計画があったわけではありません。
やってみたら育った。
だから、もう少しやってみた。
その繰り返しでした。
もちろん、ブドウを植えれば、そのままワインができるわけではありません。
他のワイナリーを訪ねて教わったり、長野で知り合った専門家が大玉まで指導に来てくれたり。人に聞き、自分でも勉強しながら、少しずつ栽培の技術を身につけていきました。
「新しいことをいつもやりたいなと思うんです」
毛利さんは、自分の性格をそう話します。
「与えられた仕事をやるのは、ちょっと苦手で。言われたことをやるんじゃなくて、自分で何かつくり出したいなっていう性格だと思います」
だから、同じものを毎年つくり続けるより、違う品種を試してみたい。
もっといいブドウをつくってみたい。
そんな好奇心が、少しずつ圃場を広げていきました。

「やめちゃおうかな」と思った年。

順調に見える毛利さんのブドウ栽培ですが、大きな失敗もありました。
2020年。ブドウを植え始めて5年目。いよいよ初めてのヴィンテージができるはずの年でした。
「実もできて、よし、秋に収穫してワインになるぞと思っていて」
ところが、少し大玉を離れて横浜へ行き、戻ってくると、状況は一変していました。
「病気で全滅だったんですよ。実が全部腐っちゃって」
5年間育ててきたブドウ。ようやく収穫できると思った、その直前でした。
「生半可なことではできないなと。こんなこと本当にできるかなと思って、やめちゃおうかなと思ったんですよ」
それでも木そのものは生きていました。
「すでに5年やってきてるわけだから、もうこれやめたら全部パーだし、400本もあるし。一年我慢してやってみるかと」
もう一年だけ。改めて勉強し、防除にも取り組みました。
そして翌2021年。今度は、無事に収穫することができました。
そのブドウから生まれたのが、ファーストヴィンテージとなる「オータマブルー2021」です。
「ボトルが出来上がってきた時の喜び。そこにやっぱり、はまりましたね」
実がなった瞬間でも、栽培がうまくいった瞬間でもなく、ブドウがワインになり、一本のボトルとして目の前に現れた瞬間。
そこから、毛利さんの挑戦はさらに膨らんでいきます。
現在では3つの圃場で700本弱、5品種ほどのブドウを育てています。
「毎年、出来が違う。それがワインの醍醐味でもありますよね。作り手としてそれを感じられるのは面白いですよ」
そう笑います。

「たまたま大玉に着地していた」

ここまで聞くと、「大玉村だからワインをつくろうと思ったのでは」と考えたくなります。
しかし、毛利さんの答えは少し違いました。
「大玉だからっていうわけではなくて、ワインをつくりたかったから。別にどこでもいいわけですよ」
そして続けます。
「たまたま大玉村に着地してたんで、大玉村に植えたっていうだけ」
最初から「大玉だから」という強い理由があったわけではない。
でも、実際に育ててみると、この土地だからこそ気づくこともありました。
大玉村は米どころです。安達太良山から流れる川が運んできた土によって、粘土質の豊かな土地がつくられています。
「そういう土地に合うブドウは何かなって考えると、メルローもいいなって」
最初から植えていたメルローは、現在「OOTAMA BLUE」のフラッグシップになりました。
「そういう意味で言うと、大玉村で良かった」
たまたま着地した土地が、やがてワインの個性になっていきました。

ワインが、人を連れてきた。

毛利さんがつくったのは、ブドウやワインだけではありません。家の周りの畑では、数年前から試飲会も開いています。
「そこに来る方が、だんだん増えてきている。地元の方ですね」
大玉村では、それまで身近ではなかったワイン。だからこそ、新しいワインができるたび、地域の人たちが集まり、グラスを囲む光景が生まれました。
毛利さんは、ワインについてこう話します。
「ワインそのものって、ものすごく人を呼べるお酒なので」
だから、自分だけが大玉村でワインをつくればいいとは考えていません。
「それをつくる人が大玉村に複数いて、いろんなブランドでもいいと思うんです。いろんな味があって、いろんな個性が発揮できる。大玉村でつくってるっていうことが大事で」
自分のブランドだけを大きくするのではなく、大玉村全体にいくつもの個性が生まれていくこと。
ワインもその中の一つでいい。
「オオタマブランドっていう全体のうちの色付け役、イメージアップ役。そこにオータマブルーがあっていいんじゃないかな」
そんな未来を思い描いています。

ワインから、映画へ。

毛利さんの「やってみる」は、ブドウ畑の中だけには収まりません。
2026年9月、大玉村の温泉施設「アットホームおおたま」で「温泉deシネマ」というイベントが開かれます。
映画を観て、温泉に入り、マルシェを楽しむ。
発酵をテーマにしたドキュメンタリー映画の上映に合わせて、発酵ドレッシングづくりや、毛利さんが育てたワイン用ブドウを使った布染めなども行われます。
この企画もまた、小さなきっかけから始まりました。
毛利さんが福島県二本松市で映画の上映会を観たこと。
「こういう上映会を、大玉でもやりたいな」
その気持ちを覚えていて、アットホームおおたまで何かできないかと話す中から、映画上映の企画が少しずつ形になっていきました。
ブドウを育てる。
ワインをつくる。
人が集まる。
映画を観る。
温泉に入る。
マルシェを開く。
一つひとつは別々の出来事のように見えます。
けれど、毛利さんの中では、どこか同じ線の上にあるのかもしれません。
「新しいことをいつもやりたい」
その一言から、次の何かが始まっていきます。

イベント公式Instagram
https://www.instagram.com/onsen_de_cinema/

農業を選べる村に。

毛利さんが見ているのは、自分のワインの未来だけではありません。
大玉村の農業そのものについても、はっきりとした考えがあります。
「イメージだけだと、やがて破綻しちゃうんですよね。ただ、実質が伴ってないと」
農業は素敵だ。自然の中で暮らせる。
そんなイメージだけでは、次の担い手は増えないと毛利さんは言います。
「大玉で農業をやれば、このくらいの生活もできますよと。そのバックボーンには、買い支えのシステムとか、ブランド化戦略とか、流通のシステムとか。そういうのが見える村にしてあげれば、子どもたちが選べる」
農業に触れる機会があるだけではなく、将来、本当に仕事として選ぶことができる。
子どもたちが「農業をやりたい」と思った時に、周りの大人が安心して背中を押せる。
そのためには、農業そのものの価値を高め、食べていける仕組みをつくらなければならない。
毛利さんの挑戦は、いつの間にか一人の趣味から、地域の未来へと視線を広げています。

小さなきっかけが、実を結ぶ。

2026年春。
長く続けてきた横浜との二拠点生活を終え、毛利さんは大玉村を暮らしの拠点にしました。
けれど、振り返ってみれば、何か一つの大きな決断によって、ここまで来たわけではありません。
大玉村に家があった。
空いている畑があった。
だから、野菜を育ててみた。
少し飽きたから、好きだったワインのブドウを12本植えてみた。
育ったから、400本に増やしてみた。
失敗した。
「やめちゃおうかな」と思った。
それでも、もう一年やってみた。
ワインができた。
人が集まった。
今度は、映画をやってみる。
最初から、いまの景色を思い描いていたわけではありません。
「大玉村でなければならない」という強い理由があったわけでもありません。
それでも、小さな「やってみよう」を重ねているうちに、土地との関係が生まれ、人との縁が生まれ、それがまた次の挑戦につながっていきました。
農業は、決して簡単な仕事ではありません。
毛利さん自身、5年間育てたブドウを収穫目前で失う経験をしています。
それでも毛利さんを見ていると、その難しささえも、次の挑戦を面白くする一部なのかもしれないと思えてきます。
最初から強い覚悟がなくてもいい。
大きな夢を掲げなくてもいい。
小さな成功を喜んで、もう少し先へ進んでみる。
そうしているうちに、いつの間にか、自分だけでは想像していなかった景色にたどり着くことがある。
小さなきっかけが、縁になり、実を結ぶ。
大玉村に吹く追い風とは、そういうささやかなものなのかもしれません。