人と、水と、時の流れが、作物を育ててきた。ミニトマト農家・髙橋信一さんの「農+」。

活動レポート
2026.10.16
髙橋 信一さん

髙橋 信一さん

ミニトマト農家

福島県大玉村出身。農家の家に生まれ、幼少期から農作業に親しむ。農業経営を学ぶ学校を卒業後、20歳で就農。父親の代から続くミニトマト(チェリートマト)栽培を受け継ぎ、40年以上にわたって栽培を続けている。現在は米づくりにも取り組むほか、長年にわたり地域の消防団活動にも携わってきた。

福島県大玉村で、40年以上にわたってミニトマトを育ててきた髙橋信一さん。生まれも育ちも大玉村。農家の家に生まれ、幼い頃から田植えを手伝い、20歳で本格的に農業の道へ進みました。

手作業だった田植えや稲刈りは機械化され、農業を取り巻く環境も大きく変化してきました。その移り変わりを、髙橋さんはずっとこの村で見つめてきたのです。

「農業って、一人でできないものなんだよね」

家族と働き、先輩から学び、仲間と助け合い、消防団などの地域活動にも関わってきた40年以上。農業を通して地域とつながり、地域との関わりの中で農業を続けてきた、髙橋さんの「農+コミュニティ」の物語です。

ごちそうが楽しみだった、子どもの頃の田植え。

髙橋さんの実家は農家。幼い頃から田植えなどの農作業を手伝い、農業を身近に感じながら育ちました。農業を継ぐことを明確に決めていたわけではありませんが、農作業そのものには興味があったそうです。

なかでも、子どもの頃の田植えには、楽しい思い出が残っています。それは、いつもよりちょっと豪華なごちそうが食べられること。

当時の田植えは、今のように機械に乗って行うものではありません。田んぼに筋をつけ、大人たちが一株ずつ苗を植えていきます。子どもだった髙橋さんの仕事は、束ねた苗を田んぼに投げ入れることでした。

泥だらけになって働いたあとの食事。シソの葉を巻いて焼いたおにぎりの味も、今なお記憶に残っています。家族が集まり、みんなで働き、みんなで食べる。髙橋さんにとって農業は、最初から人々の営みとともにあるものでした。

高校卒業後は、農業経営を学ぶ学校で2年間勉強し、20歳で大玉村へ。そこから、農家としての人生が本格的に始まります。

時代の流れが、チェリートマトを連れてきた。

髙橋さんが現在、主力として栽培しているのはミニトマト。この地域では「チェリートマト」とも呼ばれる、小さなトマトです。その栽培が始まったのは、髙橋さんのお父さんの代でした。

1977年、米の生産調整が進められる中で、ハウスを建て、新たな作物としてチェリートマトを育て始めました。農業試験場の担当者からの提案もあり、当時はまだ一般的ではなかった小さなトマトの栽培に取り組むことになったのです。

今ではスーパーで当たり前のように見かけるミニトマトですが、髙橋さん自身、子どもの頃に食べていたトマトといえば、大きなものばかりだったと振り返ります。

農業の技術も、長い年月の中で大きく変化しました。手で植えていた稲は、歩行型の田植機で植えるようになり、やがて機械に乗って植える時代へ。稲刈りも手刈りからバインダー、コンバインへ。髙橋さんは、その変化をほとんどすべて経験してきた世代です。

社会の仕組みが変わり、農業の道具が変わり、育てる作物も変わっていく。その一方で、変わらず受け継がれてきた技術や経験があります。お父さんの代に始まったチェリートマト栽培が、今も髙橋さんの仕事として続いていることも、その一つです。

言葉を話さない作物と、毎日会話する。

40年以上、同じ作物を育て続けてきた髙橋さん。それだけ経験を重ねれば、農業はすっかり慣れた仕事になっているのでしょうか。話を聞いていると、どうやらそう単純でもないようです。

「始まりは種なんですよ」

小さな種から芽が出て、成長し、花が咲き、やがて実をつける。その過程をずっと見守ることが、農業という仕事なのだといいます。

「言葉でしゃべらないけど、相手も分かるし、こっちも分かる」

作物は、人間のように言葉で何かを訴えるわけではありません。けれど、葉の様子や生育の状態を見れば、水が足りないのか、肥料が必要なのか、何か異変が起きているのかが分かる。作物の状態を読み取り、それに合わせて手をかけていく。言葉を交わさなくても、そこには確かなやりとりがあります。

近年は夏の厳しい暑さも栽培に影響しています。トマトは花が咲けば必ず実をつけるわけではなく、気温などの条件が整わなければ、実がならないことも。だからこそ、髙橋さんが特にうれしいと話すのは、花が咲いたときではなく、実がついたときです。

「これは最高ですよ」

同じハウスで、同じ作物を育てていても、気候も生育状況も毎年違います。40年以上の経験があっても、毎年が同じように進むわけではありません。だからこそ、作物をよく観察し、時にはほかの農家の知恵も借りながら、よりよい育て方を探り続けています。

仲間から学び、仲間と育てる。

髙橋さんが長い農家人生の中で大切にしてきたもの。それが、人とのつながりです。

20歳で大玉村に戻った髙橋さんは、地域の農業後継者たちの集まりに参加しました。そこには、子どもの頃から顔を知っている先輩たちもいました。一緒に活動し、交流する中で、農業についてもさまざまなことを学んでいったといいます。

誰かの畑を見に行き、栽培方法を教えてもらう。反対に、仲間が髙橋さんのところへやってきて、うまくいっていることを尋ねる。そんなやりとりを重ねながら、お互いに技術を磨いてきました。

農業には、教科書だけでは身につかない知恵や技術があります。同じ作物を育てていても、畑の条件やその年の天候によって、必要な対応は変わるもの。だからこそ、ほかの農家が何を考え、どう工夫しているのかを知ることが、自分の農業をよりよくするヒントになります。

「やっぱり仲間なんですよ、何に関しても」

それは、栽培技術の話だけではありません。農作業には多くの人手が必要です。髙橋さん自身も、奥さんと力を合わせながら農業を続け、現在はシルバー人材センターの人たちにも協力してもらっています。

一人でできることには限りがある。けれど、誰かと一緒ならできることが増える。髙橋さんにとって農業は、作物を育てる仕事であると同時に、人と関わり、学び合う仕事でもあるのです。

43年間の消防団活動。農家として、村の一員として。

髙橋さんの地域との関わりは、農業だけにとどまりません。その一つが、43年間にわたって続けてきた消防団の活動です。

消防団に入ったきっかけを尋ねると、髙橋さんはお父さんの話をしてくれました。当時は、地域の若者が消防団に入ることがごく自然に受け止められていた時代。お父さんが入団の話を進めていたこともあり、髙橋さん自身も、その流れの中で活動を始めたそうです。

農業を営むかたわら、地域の防災を担う消防団の一員として活動してきた髙橋さん。普段はそれぞれの仕事や生活がありながら、いざというときには集まり、力を合わせる。消防団の活動もまた、人と人とのつながりによって成り立っています。

農業後継者の集まり、地域のスポーツ活動、そして消防団。髙橋さんは、さまざまな場に身を置きながら、大玉村の人々と関わり続けてきました。

農業を通じて地域の仲間が増え、地域の活動を通じてまた新しいつながりが生まれる。農家という仕事と、村の一員としての暮らし。その二つは、髙橋さんの人生の中で自然につながっているのです。

村を流れる水と、積み重なってきた時間。

大玉村は、安達太良山の麓に広がる村です。山から流れ出た水が大地を潤し、その恵みを受けながら、人々は古くから農業を営んできました。

髙橋さんが、この土地の魅力として挙げるのが、風水害の少なさです。これは、長年農業を続けてきた経験だけでなく、消防団員として地域の災害に向き合ってきた実感でもあります。

大雨や台風の際には消防団として出動することもあり、川の水位が上がって、あふれそうになったこともあったそうです。それでも、髙橋さんが経験してきた範囲では、大きな氾濫には至らなかったと振り返ります。

もちろん、自然災害が起きないということではありません。それでも、髙橋さんは、大玉村が農業を続けるうえで恵まれた土地だと感じています。

そして、髙橋さんの話を聞いていると、この村には水だけではない、さまざまな流れがあることに気づきます。

手作業から機械化へと移り変わってきた農業の技術。親から子へと受け継がれたチェリートマト栽培。先輩から後輩へと伝えられてきた知恵や経験。そして、農業や地域の活動を通じて生まれ、広がってきた人と人とのつながり。

髙橋さんは、そんな流れの中で40年以上、農業を続けてきました。天候に左右される収穫量や、需要と供給によって変わる価格など、自分の力だけではどうにもならないこともあります。それでも、作物の変化を見逃さず、仲間と知恵を出し合い、その年、その時にできることを考えてきました。

その歩みを支えてきたのは、長年培ってきた技術や経験だけではありません。困ったときに相談できる人がいること。お互いの仕事を知り、助け合える仲間がいること。そんな地域のつながりもまた、髙橋さんにとって大切な財産になっているのだと思います。

農業が地域をつなぎ、地域が農業を支えていく。

髙橋さんが育てたミニトマトは、農協を通じて関東方面へ出荷されています。大玉村のハウスで育った小さな赤い実が、遠く離れた誰かの食卓へと届いていく。

髙橋さんは、自分のトマトについて、特別に甘いとか、おいしいとか、あまり大げさなことは言わないそうです。

「俺が作ったやつだから、ちょっと食べてください」

そう言って、食べてもらうのだといいます。40年以上、作物と向き合ってきた人の、飾らない言葉です。

考えてみれば、一粒のミニトマトが誰かの食卓に届くまでにも、たくさんの人が関わっています。育てる人、収穫を手伝う人、出荷する人、運ぶ人、売る人、そして食べる人。農業は、畑の中だけで完結する仕事ではありません。

幼い頃、家族と一緒に田植えをしたこと。父親が始めたチェリートマト栽培を受け継いだこと。先輩たちから技術を学び、仲間と知恵を出し合ってきたこと。そして、43年間にわたる消防団活動をはじめ、村の人々と関わり続けてきたこと。振り返れば、髙橋さんの農家人生には、いつも誰かがいました。

農業を続けてきたからこそ生まれたつながりがあり、地域の一員として暮らしてきたからこそ得られた支えがあります。髙橋さんにとって、農業と地域のつながりは、互いに関わり合いながら、長い年月をかけて育まれてきたものなのです。

安達太良山から水が流れ、季節が巡り、時代が移り変わっていく。その中で、人と人との関係もまた、受け継がれ、広がっていきます。

新しいことを始めるだけが、挑戦ではありません。人との関係を育みながら、変わり続ける地域の中で農業を続けていくこと。その積み重ねにも、大切な意味があるのだと思います。

人と育てる。人に育てられる。

農業が地域をつなぎ、地域が農業を支えていく。髙橋さんの「農+コミュニティ」は、大玉村で農業を続けることの豊かさを教えてくれます。